'100929 【自己紹介】20代最後の1時間に振り返る

なんら特別な事でもないんだが、特別な事にしたいのか、心穏やかでない。


2010年9月30日(木曜日)、私、30歳になります。


2000年9月30日(土曜日)に始まった私の20代、

あの日は・・・何してたかな。

当時の彼女と遊んでいたんだろうか。20歳だもんな。きっとそうだったんだろう。


20歳の時の私は、音楽にのめり込んでいた。学校なんか行かないで音楽だけしていたかった。
せっかく高専なんていう素晴らしい学校に行ったにもかかわらず、専門の機械よりも音楽に興味があった。
友人や先生のお陰で、なんとか無事に卒業は出来たけど。。。感謝してます。飲み会の度に伝えてますw


それから21歳までは、音楽学校に行こうと決心し、親を説得し、フリーターしながらお金を貯めた。
ガソリンスタンドと塾講師、どちらも楽しかった。面白かった。
ガソリンスタンド、深夜に働いていたんだけど、一緒に働いていたおじさんが変態だった事が記憶に鮮明に残っている。特に印象的なのは、森下くるみに会える 濃い イベントに行って、後ろから抱き着こうと飛び掛って警備員に取り押さえられたっていうエピソード。変態だけど、良いおじさんでたまにバターロール奢ってくれたのが嬉しかった。今度、夜中にスタンド行ってみようかな。


そして22歳、神戸の音楽学校へ新聞奨学生しながら通った。
芦屋で新聞配ってたけど、あのマンションを、あの量のチラシが入った新聞持って よう配ってたわ。
にしても、芦屋はほんとお嬢さんだらけ、高級車だらけで驚いた。ベンツとポルシェの間を、ジャージでカブに乗って走り抜けていた。思えば凄い光景やわ。
肝心の学校はというと、家でドラムの練習(with ゴム製のパッド)してたら、下の階に住んでたお坊ちゃんが弁護士連れてきて、家、追い出されて。。。。という感じでした。ごめんなさい。


で23歳、国分のS〇NY(あれ?伏字になってない?)に派遣(製造系)として配属。始めてのクリーンルーム体験。PR工程担当してて、丁度オリンピックかなんかで急に需要が増えて対応が大変だったの覚えている。その後、急速に需要が落ち込み、工場棟無くなっちゃいましたがね。同時に職もなくなりました。(在職6ヶ月)


その後、28歳まで、出水のN〇Cで過ごす。こちらも派遣。但し技術系。
DEとWEの生産技術を担当。SEMや顕微鏡による解析、大量のデータを集計・分析する手法も、この時覚えられた。ここで、少量多品種生産の量産工場の在り方・問題発見・改善方法を多く学ぶ事が出来たのは、貴重な体験であり、嬉しい事だ。(特にQC7つ道具・多変量解析・実験計画法・FTA・FMEAに触れられたのが嬉しい。)たくさんの、良き先輩・後輩に巡りあえたのも非常に嬉しい。いまでも交流してます。・・・で、リーマンショックだ。その煽りで。。。。工場閉鎖になりました。あぁ潰れなければ。。。正社員。。。なんて事は考えない。


そして29歳。ここからは、プロフィールに書いているとおりだ。


振り返ると残念な20代のような。。。。。気はしない。
by zums-groove | 2010-09-30 00:02 | 自己紹介